2009年6月19日金曜日

能におけるワキ(2)

ワキで一生を暮す能楽師の不思議、その2である。
再び、安田 登氏に登場していただくことになる。

人からよく「なぜワキなんかを選んだのか」と、聞かれる。
「ワキなんか」とは失敬だが、確かに能を観たことがある人ならば、どうせやるならワキよりシテ、と思うだろう。
能は、思われているほど閉鎖的でなく、能の家の人でない者にも門戸は大きく開かれている。
ただ、シテとかワキとか囃子とか狂言とか、どの役をするかは最初に決める必要があり、
かつ一度決めたら変えることができない。
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能のワキの代表的存在である「諸国一見の僧」にとても魅せられたからだ。
一所に定住せず諸国を漂白する旅の僧。その存在そのものに強く魅かれた。
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一人旅・・・・
そんな旅をしていると、日常生活では絶対に出会えないような人や出来事と遭遇する。
特に人生でとても大変なことがあって自暴自棄になっている時や、
あるいは大きな決断をしなければならないような時ならば、必ずと言っていいほどその遭遇が起きる。
そして、それがどうも能に似ているな、感じたことが、本書(ワキから観る能世界)を書こうと思ったきっかけだ。
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ワキが異界(亡霊であるシテ)に出会えるのはなぜなのか、ということを考えるつもりで書き始めた。
その過程で能のワキから影響を受けたさまざまな人達を見ていくうちに、あ、みんなワキの旅をしているんだ、と
気がついた。そしてその旅は彼等の人生を確実に変えていた。
本文では芭蕉と漱石を中心にあげたが、その他にもたくさんの人がいる。・・・・・

少しわかってきたような気がする。

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