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2010年2月15日月曜日

日々新たに

同窓会の類いから足が遠のいて、どのくらい経つのだろう・・・・
この歳(ある歳)になると、同窓会や会社OB会のお誘いがグンと増えてくる。
とりわけ、嫌っていた訳でもなく、たまたま、別の計画とかち合うことが多く
失礼してしまう状況が続くうち、出席することにさほど興味がなくなっているのが本音。
確かに故郷の同窓生、学生時代の仲間、昔の仕事仲間は懐かしい。
会えば、心はその時代に舞い戻り、楽しいひとときを過ごせるだろう。
しかし、その時代の仕事ぶりを振り返る時、それはその時代の出来事にすぎず、
今の時代には必ずしも合わない自慢話の域を出ないことが多い。
もし、その中に現役がいたら、先輩方は自分の経験で現状を批判的にもの申し、
現役者は表面的には取り繕っても内心では「時代が違います」と思うに違いない。
(若い頃の自分がそうでした・・・・)
現状を語り合うも良しだが、
そのほとんどがそれぞれの病気の体験談や健康維持法の披瀝に終止することが多くなる。
何をするにつけ、旧友との交わりは、確かによけいな努力なしに仲間として入っていける。
その反面、その時代に冠っていたそれぞれの殻を破れない煩わしさがつきまとう。
そういったことに興味を持てない自分がいるのも事実。

退職以来(正確には退職が近づき、時間にもゆとりができ始めた頃から)、
自分の趣味仲間との付き合いの輪を広げてきた。
思い返せばずいぶん長年にわたって熱中したゴルフ。
前半は仕事仲間とのプレー主体だったものの、後半は練習場での仲間、更にはクラブでの
競技会仲間との触れあいが主体となった。
現在熱中まっただ中のダイビングしかり。
スポーツクラブでのダイビング仲間との触れあいに始まり、現地サービスやネットを通じて
海中写真仲間との交流へと広がっている。
経歴や地位に無関係、さらには年齢を超えてただいまのことがらを楽しみ合える仲間。
そこには「先」があり、ささやかではあっても「挑戦」がある。
過去を振り返りながら生きるより、新たな出会いを目指して生きることの喜びを求め、
日々新たな人生でありたいと願う。

2010年1月25日月曜日

稽古と練習

一般的には同じ意味に使われ勝ちだが、この際、きっちり使い分けたい。
大辞林によれば
「稽古」とは古(いにしえ)を稽(かんがえる)
古人が作り上げた型などを、どんな意味があるのか?など考えながら行うことで、
伝統や歴史、文化までも包括し、精神論にも近づく。

これに対し
「練習」とは技能や学問などが上達するように繰り返し習うこと。

この両者の違いは極めて大きいと思う。

2010年1月10日日曜日

忘れ物

困ったものです。 初潜りに八丈島に行ったのです。(こちらの詳細は別途報告)
現地で、毎日のように忘れ物連発! 恥を忍んで書いてみましょう・・・・
(1)ホテルに送ってもらった車の中に、携帯バッッグを置き忘れ。
(途中のスーパーで買った夕食はしっかり握りしめていたのに・・・・)
(2)他の人より先に戻ったところ、ボートコートを置き忘れ。
(3)帰路の飛行場に向かう途中で宅配を依頼したのですが、
そこで送り状を書いた時に外した眼鏡を置き忘れ。
全くもう・・・・・
呆れて笑っちゃうしかありません・・・が そうも言えないお年頃。

2009年12月28日月曜日

ひんやり、しっとり

夜のうちに雨が降った。朝には上がり、これから天気も回復基調とのこと。
ひんやりしているが、しっとりした感じでここのところの乾燥状態に比べ気持ちがいい。

今日を休日にすれば9連休という人もいるように世の中、年末年始の休日モードに突入。
我が家も明日から大家族になるので迎撃態勢をとるべく大掃除の真っ最中。
そして、ジジババ大働きの一週間が始まる。

2009年12月3日木曜日

我家の老猫

朝から雨が降っています。
私の印象では、例年のこの時期の関東地方は乾燥した冬晴れが続くのですが
今年はそうでもないようで・・・・・
フィリピン東に長期滞在した台風22号は明日には潰れて熱帯低気圧になるみたい。

そんな中、外に出れない我家の黒猫は特等席を占拠。しかもカーペットから無造作にはみ出し。
御歳12歳(の筈)は人間で言えば60半ば。(なんか、牛のシルエットにも見えてきた)


2009年9月4日金曜日

台風12号発生

やはり予想通り、台風ができた。
この12号、日本の東海上を抜けそうな雰囲気だが、さて・・・

2009年9月1日火曜日

一週間後にまた?

台風予報サイトの続報です。
11号は東北東沿岸を北上して行きました。
どの予報サイトにも次の予報は出ていませんが(台風発生もなし)
唯一、「今後一週間の気圧変化予測」サイトによると
台風とおぼしき低気圧が日本付近を通過するようです・・・・

自分的には近々の遠征予定はありませんが、遠征の場合は
この「一週間気圧予測サイト」と、「台風発生時の米軍の予測サイト」を
日々チェックして行動に備えます。

2009年8月30日日曜日

台風11号がやって来る

明日の朝、房総半島に上陸?
→今夜、最接近らしい・・・・

午後5時半、雨は降っていますが、静かになってきました。
スピードが上がって現在位置は房総の東沖らしいので、このままで終わりそうです。
範囲が小さく速度も速まり、位置的にも台風の西側だったのが幸いしたようです。

台風進路予想

台風進路予報(予想)については
米軍・那覇が管理する予報システムの精度がかなり高い。
下の予想進路、左が昨日の朝で右が今朝の情報。
速度がかなり速まっていることを示している。
昨日の朝の段階では気象庁の予想では
1日−2日に関東に接近とのことだった。
(夕方には1日には抜けそうとの予報に変更)
感覚的には気象庁は慎重というか間違いを恐れてか対応が遅い傾向にある。
















米軍の情報が早く、確度も高いのは行動計画の必要性などから必然なのだろうか・・・

ところでこのブログでの画像の扱い:実際よりかなり縮小されてしまう。
クリックで元画像になればそれなりだが・・・ちょっと不満。

今、30日の午後6時半。ここ横浜でも雨が降り始めた。今夜は大雨の予報。


2009年8月19日水曜日

人を敬う言葉

今日の読売新聞のコラム。(編集手帳):なるほどなぁ と 思いました。
全文引用させていただきます。

>>ドイツのソプラノ歌手エリカ・ケートさんは言語の響きや匂いに敏感であったらしい。
歓談の折に語った比較論を「劇団四季」の浅利慶太さんが自著に書き留めている。
イタリア語を「歌に向く言葉」、フランス語を「愛を語る言葉」、
ドイツ語を「詩を作る言葉」と評した。
日本語はーー浅利さんの問いに彼女は答えたという。「人を敬う(うやまう)言葉です」
(文芸春秋刊「時の光の中で」)。

一昨日、甲子園の高校野球中継で実例に接した。
横浜隼人戦に完投した花巻東の菊池投手の勝利インタビューである。
「これまでも練習試合で対戦し、ずっと横浜隼人のようなチームになりたかった。
今日勝てて、少し近づけたかなと思う」。
選抜の準優勝投手で、屈指の左腕で、文句なしの快投を見せた直後で、
多少の大口は許されるだろうに、この言葉である。
じつを言えば小欄は郷土の代表、横浜隼人を応援していたのだが、
負かされた悔しさはどこかに消えていた。
言葉は人の心を潤す魔法の水だろう。
折しも列島は選挙一色、激戦の中でも「人を敬う言葉」は忘れずにいて欲しいものである。<<

いまさらながら、教えられる思い。
今のこの日本で、菊池投手のような青年が育ってくれていること、
そして彼の周りには彼を育んでいる人々がいることに感謝!!

2009年8月10日月曜日

また一人、身近な方のご親族のご不幸に出会う。
この年になると同年代の人々や関係者との別れがあり、
人ごとではない思いをすることもしばしばである。

そのことを殊更我が身に振り替えて今すぐにどうこうする必要はないけれど、
その時に備えてそれなりの覚悟が必要と思い知らされる。

自分の身だけのことではなくなってきているのも事実で、生活に直接関与してくる。
若い時代は無我夢中で、その時を全力で過ごすことの積み重ねでよかったのかもしれないが、
そうもいかない年代をどう生きるのか。
その一瞬を真摯に受け止め、全力で生きることの大切さは変わりはないが中味は大きく異なる。

必要なのは、ここまでよりも明らかに短い「これから」を「いかに生きるべきか」、
より深く考えるきっかけにすることであろう。

キーワードは「謙虚」。
「謙虚に生きる」とはいかなることか と考えてみる・・・
言葉にすると「へりくだる」とか「控えめ」とか「すなおに相手の意見を受け入れる」とかに
なるが、それだけのことではすまされない。
人は自分の経験・体験でしか生きれないから、それを加味した「謙虚さ」であるべき・・・
その何たるかを、反芻してみる・・・

「自我を無くしへりくだる」では「その人となり」もなくすことになり本物ではないと思う。
強い自己主張や自分本位、言うなれば「自分を認めて欲しい、褒めてもらいたい」
「自分が主役になりたい」ところから「周囲の人を含めた全てのものを受けとめる」こと、
良いところ・優れたところを認め、共に生きること。
とかく「人の欠点や嫌らしさ」は目に付きやすく、それを強く意識したり揚げ句の果てには
同意者を募っての仲間意識作り・・・このことほど嫌らしいものはなかろうに・・・
他人の嫌らしさが見えるとき、それは「自分にその嫌らしさがあるからだ」という。
そうは言ってもなかなか難しいことだが、自分を磨く努力をしてみるつもり・・・

2009年8月3日月曜日

蒸し暑い

昨夜帰ってきました。
出かける前に刈り込んだ芝生もずいぶん伸びていました。

全英女子オープンの宮里藍ちゃん、残念でしたね。
しかし、ここ数年の苦労が実りつつあるとのことで、大したことだと思います。
これで世界ランキングもぐんとアップでしょう・・・・・

それにしても関東は(特に我家は)蒸し暑い!!
沖縄の方が体感的には気持ちがいい感じでした。
それもこれも気持ちの持ちようなのかもしれませんが・・・


2009年8月2日日曜日

台風?

沖縄・慶良間に来ています。(と 言っても、もうこれから帰るのですが・・・)
これまでのところ沖縄だけが真夏で本州は梅雨明けしたところもまるで梅雨。
大雨被害も続出していますよね・・・
例年なら何個かの台風影響が出ている沖縄ですが今年はここまで皆無。
年間を通しての台風の数は時期のずれはあってもおおよそ辻褄があってしまうので
むしろこれからが心配といったところでしょうか。

直近の気圧予報を見ると、明日台風が発生し、沖縄から九州方面に向かいそう。
ここ座間味では一番よい季節で、観光産業はかきいれどき。
今週末にかけて、宿泊客や予約客への対応が心配の様子です。


2009年7月25日土曜日

雨蛙


この辺りでちょっと一息。
一ヶ月ほど前になりますが、
月に二回ほど仲間と一緒にやっている千葉の畑。
沢山の雨蛙の子供がぴょんぴょん跳ね回っておりました。
写真は、アジサイに飛び乗っていた子です。

すぐそばに田圃があるからでしょうか・・・
横浜辺りでは蚊はぶんぶんいるけどカエルは見なくなりましたからねぇ〜〜

2009年6月21日日曜日

ゆったり生きる

「ゆったり過ごす」「ゆったり生きる」ということとはどういうことかを考えてみる。

「これまでの20年とこれからの20年」

中島みゆきの歌「ヘッドライト・テールライト」の一節
行く先を照らすのは まだ咲かぬ見果てぬ夢
遥か後ろを照らすのは あどけない夢 ヘッドライト・テールライト 
旅はまだ終わらない

69歳になった今、
思うのは これまでの20年とこれからの20年では全く違う人生であろうこと。
これからは20年もない可能性も強く、
これを思ってしまうと寂しくもなるが紛れもない現実である。
悠々自適なる言葉あり。
リタイヤして、時間はたっぷり、好きなことができる人を羨ましがって使われることが多い。
そのためか、言われる方は何となく面はゆい感じで、「はい、そうです」とも言い切れず、
「まぁ」とか 「いや、それほどでも」とか言葉を濁すことが多いのではないだろうか・・・
大辞林などを引いてみる・・・
悠々自適:「世俗を離れて安楽に暮らす」:このフレーズには違和感あり。
悠々:「ゆったりとして急がない様子」「ゆとりがあって危なげない様子」:これがぴったり
自適:「他のことに心をわずらわされず、気のおもむくままに、のんびり暮らすこと」
悠然:落ち着いてゆったりとしている様 泰然自若:少しも物事にに動じない様

伊集院静 時間のとらえ方
若い時の時間は一日や一週間、一ヶ月が鮮やかに目の前にあり、
その時間の中で喜怒哀楽を感じ、 笑い、泣き、悩んだりする。
誰も若いときは目の前のものが全てに見える。
しかし、それが歳月を重ねることでさまざまな喜び哀しみを経験し、
今日の前を通り過ぎようとしている時間が柔らかくしなやかになるのだろう。
人間の暮らしは嬉しいことと切ないことを計ってみると切ないことが多いのは、どうも必然らしい。
幸せの形は似ているが、哀しみはみな違っている。それでも哀しみは柔らかくなる。

探偵小説の謎解きの筋道を立てるがごとく、目標設定をきちんと行い、
論理的検証も行って その達成のために進むべき方向をしっかり定めて邁進する。
それを基点に拡大展開させていくのがこれまでのやり方。
その路線に乗らない場合は速やかに修正を加えて進めるのが正しく賢いやり方だった。
そうでなければいけなかった。
これと決めたらトコトンやって人並以上のレベルに達するをもって良しとしてきた。
しかし、人生にはそれでも行かねばならぬ定まらない路もあれば、
渾沌の中で生きていくことが必要なことの方が多いのかもしれぬ。
その路を歩む方がより豊かな人生なのかもしれない。
涙の数だけ、挫折の数だけ人は豊かになれる。

「ゆったり暮らす」ことは歳相応に生き方を変えていくこと
いつまでも今やれていることがいまのまま進んでいくことはない・・・
それがどんな形で来るのかは想像できないけれど・・・
いつの日かできなくなるときが必ずやって来る。
残りの人生を豊かならしめるには、何事もあるがままを善しとして受け入れる(受け止める)
相性が悪いと思われる人がいる、なにかと勘に障る人がいる・・・
皮肉なことに、往々にしてそれは自分の心の問題であることが多いらしく、
自分の姿を映していて、嫌な自分を見ているからこそかもしれないのだ。
さらには、判断するにしろ相手を見るにしろ、
全てはこれまでの自分の経験や価値基準によるわけで、
その見方(前後左右、縦横斜め)を変えれば、価値も善悪さえも一変してしまうことだって
容易に考えられるのである。
自分の意にそぐわない対応や状況も、心地よいものも、そうでないものも、
一見、道理に合わないと思われることも、心静かに善いところを見守るように努めてみる。
やりたいことができなくなることにも 苛々せず、怒らず、腹を立てず、焦らず、がつがつせず、
ゆったりと生きる・・・
もう、そうしても良い、そうすべき年齢になってきたことを認識すべきなのかもしれない。
しかし、仙人のごとく達観しきってしまうのもつまらないし、どうかとも思う。
そう、「悠々かつ、しなやかに生きる」(柔軟で弾力に富む。たおやかで優美)
「いつも穏やかで柔らかな顔をしている」をこれからの「生きるよすが」とするか・・・・