2009年6月21日日曜日

インナーマッスル

本論は2005.1.11に「あの時のそれ」に掲載のものです。
現在では私自身の身体に対する考え方が変わってきているので、
適切ではありませんが一つの考え方として再掲しておきます。

最近、右肩が痛い。
電車で吊り革を持つのが辛い、背中に右手が回り難い(背中が掻けない・・・)、
物陰のモノを拾うのに思い切り伸ばした時などには痺れるような強い痛みが走る。
外側の筋肉ではなく、内側の肩関節から腕にかけて、突き抜けるように痛む。
どうやら、これは内側の筋肉らしい・・・・・

■ アウターマッスルとインナーマッスル
外から触って確認できるのがアウターマッスルで、肩周りで言えば三角筋や大胸筋。
これに対し、身体の内側にある筋肉がインナーマッスルで、
回旋系のスポーツでは特に重要と言われる。
これ自体は大きな力は発揮しないが、
身体の切れを生み出すのに欠かせない筋肉であると同時に、
「関節の安定をはかるものでもあり、故障発生を防ぐ」にはこの筋肉を鍛えることが重要。
アウターマッスルとインナーマッスルのバランスも重要で、
例えば、肩の動きが悪いからと言って、
三角筋のストレッチや筋肉トレーニングをしても一向に良くならないばかりか、
アウターマッスルが強くなりすぎてインナーマッスルや関節を痛める恐れもあるとのこと。

■ 肩の痛みがインナーマッスルらしいことに気づき、調べ始めたら、
ショッキングな記事に出会った。

曰く、「下腹部がポッコリ出てしまう原因の一つに大腰筋の衰えがあります。」
「大腰筋」とは上半身と下半身とをつなぐ唯一の筋肉で、背骨や骨盤を支えたり、
太ももを上げる重要な筋肉で身体の外側から触っても確認できないインナーマッスルです。
大腰筋が衰えると骨盤が前もしくは後に傾いたりして、
正しい姿勢がキープできず猫背になってしまう。
そうなると腹筋や背筋も弱まり、お腹周りがたるんでしまうことに・・・
内蔵が下垂して下腹部が出てきたり、更には交換神経の働きが低下して、
太り易い体質になったりもする。

そこで「大腰筋チェック」!
(5個以上当てはまる人は・・・大腰筋がかなり衰えています!!!)

(1)椅子に座るとき、浅く腰掛けることが多い
(2)歩くことが億劫だ
(3)歩くのが遅くなった
(4)猫背気味である
(5)お尻が平べったくなってきた
(6)平坦な路でつまづくことが多い
(7)いつも腰痛気味である
(8)正座をするのが辛い
(9)階段を上がるのが苦手
(10)腹筋運動をあまりしない
(11)下腹部がぽっこりしてきた

おいおい、大変だ~。まさにこれじゃありませんか!!
元々股関節が堅く、背中が張り易く慢性的腰痛に悩む日々。
上記状況には多々思い当たる節が・・・
となれば、肩、股関節、腰のインナーマッスル強化が「焦眉の急」ではありませんか!!
一念発起! できるかな?
しかし、インナーマッスルの強化トレーニングでは
アウターマッスルが動くやり方では効果が半減!との話も。
いい加減なことではダメなようです。
しっかり調査して正しいトレーニングが必要のようですね。

ゆったり生きる

「ゆったり過ごす」「ゆったり生きる」ということとはどういうことかを考えてみる。

「これまでの20年とこれからの20年」

中島みゆきの歌「ヘッドライト・テールライト」の一節
行く先を照らすのは まだ咲かぬ見果てぬ夢
遥か後ろを照らすのは あどけない夢 ヘッドライト・テールライト 
旅はまだ終わらない

69歳になった今、
思うのは これまでの20年とこれからの20年では全く違う人生であろうこと。
これからは20年もない可能性も強く、
これを思ってしまうと寂しくもなるが紛れもない現実である。
悠々自適なる言葉あり。
リタイヤして、時間はたっぷり、好きなことができる人を羨ましがって使われることが多い。
そのためか、言われる方は何となく面はゆい感じで、「はい、そうです」とも言い切れず、
「まぁ」とか 「いや、それほどでも」とか言葉を濁すことが多いのではないだろうか・・・
大辞林などを引いてみる・・・
悠々自適:「世俗を離れて安楽に暮らす」:このフレーズには違和感あり。
悠々:「ゆったりとして急がない様子」「ゆとりがあって危なげない様子」:これがぴったり
自適:「他のことに心をわずらわされず、気のおもむくままに、のんびり暮らすこと」
悠然:落ち着いてゆったりとしている様 泰然自若:少しも物事にに動じない様

伊集院静 時間のとらえ方
若い時の時間は一日や一週間、一ヶ月が鮮やかに目の前にあり、
その時間の中で喜怒哀楽を感じ、 笑い、泣き、悩んだりする。
誰も若いときは目の前のものが全てに見える。
しかし、それが歳月を重ねることでさまざまな喜び哀しみを経験し、
今日の前を通り過ぎようとしている時間が柔らかくしなやかになるのだろう。
人間の暮らしは嬉しいことと切ないことを計ってみると切ないことが多いのは、どうも必然らしい。
幸せの形は似ているが、哀しみはみな違っている。それでも哀しみは柔らかくなる。

探偵小説の謎解きの筋道を立てるがごとく、目標設定をきちんと行い、
論理的検証も行って その達成のために進むべき方向をしっかり定めて邁進する。
それを基点に拡大展開させていくのがこれまでのやり方。
その路線に乗らない場合は速やかに修正を加えて進めるのが正しく賢いやり方だった。
そうでなければいけなかった。
これと決めたらトコトンやって人並以上のレベルに達するをもって良しとしてきた。
しかし、人生にはそれでも行かねばならぬ定まらない路もあれば、
渾沌の中で生きていくことが必要なことの方が多いのかもしれぬ。
その路を歩む方がより豊かな人生なのかもしれない。
涙の数だけ、挫折の数だけ人は豊かになれる。

「ゆったり暮らす」ことは歳相応に生き方を変えていくこと
いつまでも今やれていることがいまのまま進んでいくことはない・・・
それがどんな形で来るのかは想像できないけれど・・・
いつの日かできなくなるときが必ずやって来る。
残りの人生を豊かならしめるには、何事もあるがままを善しとして受け入れる(受け止める)
相性が悪いと思われる人がいる、なにかと勘に障る人がいる・・・
皮肉なことに、往々にしてそれは自分の心の問題であることが多いらしく、
自分の姿を映していて、嫌な自分を見ているからこそかもしれないのだ。
さらには、判断するにしろ相手を見るにしろ、
全てはこれまでの自分の経験や価値基準によるわけで、
その見方(前後左右、縦横斜め)を変えれば、価値も善悪さえも一変してしまうことだって
容易に考えられるのである。
自分の意にそぐわない対応や状況も、心地よいものも、そうでないものも、
一見、道理に合わないと思われることも、心静かに善いところを見守るように努めてみる。
やりたいことができなくなることにも 苛々せず、怒らず、腹を立てず、焦らず、がつがつせず、
ゆったりと生きる・・・
もう、そうしても良い、そうすべき年齢になってきたことを認識すべきなのかもしれない。
しかし、仙人のごとく達観しきってしまうのもつまらないし、どうかとも思う。
そう、「悠々かつ、しなやかに生きる」(柔軟で弾力に富む。たおやかで優美)
「いつも穏やかで柔らかな顔をしている」をこれからの「生きるよすが」とするか・・・・


2009年6月19日金曜日

能におけるワキ(2)

ワキで一生を暮す能楽師の不思議、その2である。
再び、安田 登氏に登場していただくことになる。

人からよく「なぜワキなんかを選んだのか」と、聞かれる。
「ワキなんか」とは失敬だが、確かに能を観たことがある人ならば、どうせやるならワキよりシテ、と思うだろう。
能は、思われているほど閉鎖的でなく、能の家の人でない者にも門戸は大きく開かれている。
ただ、シテとかワキとか囃子とか狂言とか、どの役をするかは最初に決める必要があり、
かつ一度決めたら変えることができない。
・・・・・・
能のワキの代表的存在である「諸国一見の僧」にとても魅せられたからだ。
一所に定住せず諸国を漂白する旅の僧。その存在そのものに強く魅かれた。
・・・・
一人旅・・・・
そんな旅をしていると、日常生活では絶対に出会えないような人や出来事と遭遇する。
特に人生でとても大変なことがあって自暴自棄になっている時や、
あるいは大きな決断をしなければならないような時ならば、必ずと言っていいほどその遭遇が起きる。
そして、それがどうも能に似ているな、感じたことが、本書(ワキから観る能世界)を書こうと思ったきっかけだ。
・・・・
ワキが異界(亡霊であるシテ)に出会えるのはなぜなのか、ということを考えるつもりで書き始めた。
その過程で能のワキから影響を受けたさまざまな人達を見ていくうちに、あ、みんなワキの旅をしているんだ、と
気がついた。そしてその旅は彼等の人生を確実に変えていた。
本文では芭蕉と漱石を中心にあげたが、その他にもたくさんの人がいる。・・・・・

少しわかってきたような気がする。

2009年6月11日木曜日

仙椎で生きる

歳と共に尻が落ち、見た目にも「いかにも老人」の姿になる。
背筋が落ちるためとはよく聞く話だが、原因は「仙椎」にあるらしい。
仙椎が緩むことで尻が落ちる。気持ちの緩みにも通じ、心身共にだらしなく、
自制も効かない状態になりかねない。
ましてや、社会生活者として、何かを支えたり背負っていく気概なども薄れていく。

脊椎の下、尾骨の上に位置する「仙椎」。
これを引き上げることで、背筋も伸び、心身共に「しゃきっ」としてくる。
(できれば問題ないのだが筋肉で引き上げようとすると肩に力が入ったりして長続きしない傾向がある。
感覚的に仙椎を感じることができ、引き上げる感覚ができてくるとしめたもので、
尾骨をはね上げる感覚になれば尚よろしい。)
お腹の引き締め効果もあり、歩く姿も颯爽と若々しくなる。

人生の総仕上げに向うこの時、「仙椎」引き上げで生きていこう!!

能におけるワキ



前々スレッドで能楽師・ワキ方の価値観について触れた。

この疑問にずばり答えてくれて興味深いのが本書
「ワキから見る能世界」
(安田登 著、生活人新書)である。

またまた序章からの抜粋・・・。

よくシテは主役、ワキは脇役と言われる。
が、本当はそんな単純なものではない。
シテが主役と言うのはいい。それは正しい。
問題はワキが脇役ということだ
・・・
今、私たちが脇役という言葉を使うときには、
副次的な役割を担う人と言う意味で使っている。
特にそれが比喩として使われる時にはもっとひどくなって、
「あの人は脇役だから」などと言われると、
もうそれはほとんど「端役」という意味になっている。・・・・
ところが、能のワキは
現代の演劇や映画で言われているような脇役では決してないし、
ましてや比喩として使われるような脇役では決してない。

ちなみに能の完成した室町時代の日本語には「ワキ」という言葉に
脇役などという意味はなかった。
ワキとは「横(の部分)」をさす。
体側の部分、着物で言うと脇の縫い目の部分が「ワキ」という言葉の古い用法だ。
これは、その場所(ワキ)が着物の前の部分と後の部分を
「分ける」ところだから「ワキ」だと言われるが、
この言葉から分かるようにワキは分ける、
古語で言えば「分く」というのが原義だ。・・・・・・
ただし、古語では同じ「分く」でも「分ける」人という意味と「分からせる」人という二つの意味になる。
ワキとは「分ける」人であり、そして「分からせる」人なのだ。
・・・・・
能のワキが「分からせる」のは何か、それはシテの正体だ。
旅人であるワキが、ある「ところ」に通りかかり、シテと出会うのが能の始まり・・・
しかし、その「ところ」にはワキだけでなく、さまざまな人が通りかかる。
・・・・
旅人が通りかかった「ところ」には、ずっと前から霊はいた。
しかし、それが見えるのがワキだけだったのだ。
そしてその霊は、そのままでは観客にも見えない。
その不可視の存在である幽霊、シテを、観客に「分からせる」、見せるのが
「ワキ」=「分からせる人」の役割なのだ。
・・・
次にワキのもう一つの役割、「分ける人」としてのワキを見ていこう。・・・
シテはその「ところ」に思いを残してこの世を去った霊魂だ。
残恨の思いのために成仏できずに、幾度となくこの世に、特にある「ところ」に出現する。
・・・
この世で充分に果たせなかった思い、あるいは語り尽くせなかった執心など、
いわゆる「残恨の思い」を誰かに聞いてもらいたい、
そして舞を舞うことによってその思いを昇華させたい、未完の行為を完成させたい、
すなわち思いを晴らしたいがためにこの世に出現するのだ。
思いを晴らすの「晴らす」とは「晴れ」という言葉からわかるように暗闇を明るく転換させることだ。
残恨の思いを、無意識の暗闇から蒼天の意識のもとに引き出すことを言う。
そしてシテの思いを晴らす手助けをするのがワキだ。
ワキはシテの残恨の思いを受止めて、その昇華作業(成仏)を助けるのだから能のワキは多くが僧だ。
しかも漂白の旅を続ける、一所不住の僧だ。
・・・・
乱れに乱れたその思いを整理して治めようとすればするほど、よけいにぐちゃぐちゃになる。
そこで必要なのは、そういうぐちゃぐちゃ状態を快刀乱麻を断つがごとく「分け」、
そして再統合する、そんな人の存在だ。
これがワキの第二の役割、「分ける人」としての役割だ。
・・・・
脇役などと言って無視するには、なかなか凄い力を持っている。
ワキはあくまでシテの語りを引き出すためにのみ存在する。
だから彼は自分のことをほとんど語らない。・・・・
しかし無名の彼でも、他の誰にも見えない、そういう亡霊と会うことができる。
無名の彼だからこそ、亡霊と出会い、異界と出会うことができるのだ。
なぜ、ワキは異界をここに引き寄せ、そして亡霊と出会うことが出来るのか・・・・・


私のような超初心者が口を挟む余地の全くないワキの存在価値論。
圧倒的でさえあったので、引用文そのままにさせてもらいました。
能の魅力を深める上で、極めて重要な切り口であると思いましたが、
この先は私自身をもう少し深めないと読み取れない部分でもありますすので、
次の機会にしたいと思います。

2009年6月7日日曜日

初めての観能


3月半ば、国立能楽堂に長山桂三の「道成寺」を観に行った。(写真撮影は禁止。ただし、開演前ならOKである。)
能舞台の周りに設置された「見所」の配置も独特なもので、開演前・休憩時間にあちこちに身を置いてみたが
場所によって見え方ががらっと変わり、なかなかに面白い。
この後観能の機会があったら、場所を変えてみることもいいかなと思えた。

さて、この観能でどんなことにどれだけ感応できるかな・・・?


さて、今回の演目は能は「田村」と「道成寺」。能と能の間に狂言「樋(かけい)の酒」、この他に「仕舞い」が数曲。 「仕舞い」については今回はついて行けず終い。
能「田村」も、事前に物語の概要は少々つかんではいったものの、悲しいかな観能力のなさを痛感。
狂言は言葉も仕草もわかりやすく、能と組み合わせることが、その日の全体構成上極めて重要で、なるほどと思わせてくれた。


そして、「道成寺」。
大鐘などの仕掛けもあり、初心者でも楽しめるだろう・・・との思い。
(物語の筋はここで敢えて書き記すこともなかろうと思うので省略。)
*左は販売もしていたDVD写真


最も印象に残ったのは、道成寺でのみ舞われるという乱拍子」
小鼓方の「多彩な掛け声」と鋭い小鼓の音、その間合い。それに呼応する
「シテ」の身の捌きと足捌き(特に爪先)が絶妙ですっかり魅せられた。
紹介文には「丁々発止、緊張感あふれる掛け合い」とあるがまさにそれ。
また、蛇体の鬼女が僧達の祈りに追いつめられ川へ飛び込む時の姿も印象的。
登場人物の大半が、摺り足での静かな動き・動作が多い中、際立って見えた。



また、能全体を通して感ずる「独特の摺り足の静かな動き」。
「腰を沈めた立ち姿、爪先が不自然に動かない足の甲の美しさ」、
そして何と言っても「頭の位置が微動だにしない(上下しない)歩行術」。
どれ一つとっても、
厳しい鍛練でしか得られないと思われる見事な身の捌きだった。



まぁ、超初心者のそれも最初の観能としては、こんなところか。


一番の収穫はと言えば・・・
理由は定かではないが、この不思議な世界にちょっとだけ嵌り始め、また再び「能を観てみたい」という気になったこと。





「道成寺」については10ページを割いて
その「あらすじ」や「シテ方」「ワキ方」「笛方」「小鼓方」「大鼓方」
「太鼓方」「狂言方」「後見」それぞれの立場からの「道成寺」が語られている
「あらすじで読む名作能50」(ほたるの本、監修:多田富雄)が興味深い。
が、・・・・
いまのところ、表面的な理解しかできてはいないのが残念なところ・・・


最後に、本書の序章(はじめに)からの引用です。


能は演劇とはいっても西洋の劇のようにいろいろな登場人物が現れるわけではない。
一般にはシテと呼ばれる主役一人の演技で舞台が進行するのが普通だ。
シテを呼び出したり、聞き役になったりするワキという役と、
時にシテと一緒に演技するツレなど限られた人物しか舞台に現れない。
しかも登場人物たちの対立や葛藤によって事件が進行するのではない。
多くの場合、事件はすでに済んで、登場人物はそれを思い出しているに過ぎないのだ。
しかもシテの多くは、もはやこの世にいない人、つまり幽霊なのである。
・・・・・
舞台の右手にある橋掛かりは文字通りあの世からこの世に繋がる橋なのだ。
この橋を通って、この世に執心を残した幽霊が現れ、嘗て起こった事件の全てを仕方話で物語る。
・・・・
フランスの作家ポール・クローデルは、
「能では何かが起こるのではなく、何者かが現れる」という意味のことを書いている。
これほど能を的確に表現した言葉を私は知らない。
「現れる」という言葉には二重の意味が隠されている。「現れる」と「顕れる」である。
能の劇中に「現れる者」は「何ものかを顕す人」なのである。
・・・「現れる人」、「顕れるもの」の期待と予感を感じさせることができれば、能なる演劇は成功である。

2009年6月6日土曜日

能、ことはじめ

さかのぼること3ヶ月。3月のとある日、生まれて初めて「能」を観ることになった。
日本独特の演劇として「能」があることくらいは知っていた。
しかし白状すれば古来の演劇の代表格である「歌舞伎」との本質的な違いは何かもわかっていない
超初心者である。

せりふは文語体、謡曲(うたい)はお経みたいで何を言っているのか分からない。
しかもゆったりしたテンポで動きも少なく眠くなるのは必定・・・・
でも、そんなことでは折角の機会が「もったいない」ではないか・・・・


そんな訳で、所謂「能の入門書」のしかも序章部分を覗いてみることにした。
その名も「これならわかる、能の面白さ」(著:林 望)

序章;「能楽という奇跡」
私なりにポイントを拾ってみると
(1)能という演劇には「演出家」がいない。
(2)*主役の「シテ」、シテが連れて来るのが「ツレ」
   *脇役の「ワキ」、ワキが連れて来るのが「ワキツレ」
   *その他に「地謡(じうたい)」「囃子方(はやし)」
   *能の中で狂言を演ずる(間狂言)のが「アイ」
(3)全てに君臨し演出、振付け、演技とを全て一身に兼ねる主役が「シテ」でオールマイティの存在。
  「シテ」という呼び方は「す」というサ変動詞の連用形「シ」に、
  「〜する者」という意味での「手」が接合したもので、「舞い手、語り手」などというときの「手」である。
   されば「シテ」というのは「する人」という意味で、能という芸能を「する」のは、ただこのシテ一人に集約されているのだと言ってよい。
   シテ方には、なにもかもこなせる技量と見識、それに君臨するものとしてのカリスマが要求される。

(4)「ワキ」という役目は、文字通り脇にいる人ということであって、
いわば傍観者というほどの意味である。

しかもこれらを演じる能楽師はシテ方、ワキ方、狂言方の三つに分かれ、
器楽の演奏者は囃子方として笛方、小鼓方、大鼓方、太鼓方などの専門分野に分かれる。
能楽界は江戸時代から続く分業制度が厳然と守られている世界で、それぞれには流派があり、
役籍や流儀を変えることは原則的に認められないという。

演奏者たる囃子方についてはさもありなんと思えるし、狂言はそれ自体が独立した演目を持っている
ことなどからが分かれているのも何とか理解できそうである。
しかし前述のようにシテ方が絶対的な立場を持つ中の
「ワキ方」が長い歴史の中でその存在意義をどのように持ち続けられたのかとの疑問が残った。
(この件は、後に明かされることになるのだが・・・)

2009年6月4日木曜日

肝が座る

と ある禅僧のお話しの引用です。

「心配というのは必ず頭の上の方でするものであります。」
どてっ腹で心配してくださるなら大丈夫なのですが、頭で心配しますと、
その心配が心配を積み重ね、コンピュータに心配というプログラムを埋め込むのです。
そうすると何を見ても、何を聞いても心配の種になっていくのです。
プログラムを組み込んで、心配だ、心配だ、心配だと、お天気が悪いと心配だ、
お天気が良くなると心配だとなります。
何もかも心配の種にしてしまうのだから、道が開けてきません。
本当に安心の目覚める方向にには向きません。
そこで、「頭で心配することを止めなさい」と言うのです。
「相手にしない、邪魔にしない」と言うのです。
「自分の命の働きの中心は、このどてっ腹、しかもどん底の方に置きなさい」
と言うのです。
自律神経の塊がこのお臍の下の丹田といわれるところにちゃんと充実しておるのです。
ここに命の中心をおきなさい。
そうすればああかな、こうかなという心配は段々に気にならなくなってくるのです。

正座の効用

正座が大の苦手である。
膝下の出っ張り(名前は知らない)が畳に床に突き当たり針が指したように痛んでくる。
足の甲が出っ張っているためなのか、畳に床に当たって痛む。
痺れが来る前にその痛さに耐えられなくなる始末である。
一年ほど前から正座を奨められ、必要にも迫られて、その機会も増えてきてはいるにもかかわらず、
相変わらずの状況で、座禅用の円座を尻の下にかませて座ってもようやく正座時間が短い人並み。

日常はついつい、椅子に座る生活となる。
それも時間が経つにつれ、腰を伸ばし脚を伸ばしてのだらしない姿勢と相成る。
この生活、この姿勢が我が最大の弱点である腰痛にいい筈もないことは判っている。
が、まだまだ なのだ。
最近、パソコンに向う時に正座から入ることにしている。
低い座卓に座布団を敷き、そこで正座する。
座布団があるので前述の痛みが来る時間は少々延びて痺れが先に来るようにはなってきた。
しかし・・・痛い・・・のだ。

正座で作った姿勢がこの痛みで崩れてしまうのが悔しい、情けない。
一体いつになったら、少しでもいいから改善を感じることができるようになるのだろうか・・・
と 嘆いてばかりでも仕方がないので、「正座の効用」を少し調べてみることにした。



1.姿勢と椎間板にかかる圧力の度合い(低い順)
  1)上向きに寝る(*寝てばかりもいられないね)
  2)直立の姿勢
  3)正座
  4)椅子に腰掛ける
  5)前傾姿勢で立つ(*膝を伸ばした無意識・不注意の中腰ということか・・・)
  6)あぐら(正座の2倍以上の負担)
  注)*私にとって「あぐら」は経験的にも確かによくない。腰が疲れる。
    どうしてもの場合には、後に寄りかかる場所を探し、
    揚げ句の果てには足を投げ出すことに相なる。

2.何故、正座がよいのか
  1)心を落着かせ、頭の回転をスムーズにさせる状況を作りやすい:←(*納得できる)
  2)正座は腹筋を使うため骨盤が正しい位置に保たれる効果あり:←(*そうなのかぁ)
    椅子に腰掛ける姿勢は腹筋を使わないため筋力が低下する。
    腹筋が弱いとぎっくり腰や慢性腰痛の原因にもなる。
  3)この姿勢は大人ばかりでなく、胎児が母親の羊水の中にいる時からの姿勢だという。
    胎児にとっても自然で一番楽な姿勢が正座だったのです・・・と

3.正座は日本固有の美風なり。
  世間、腰抜けが多きがためか、その後、脚が痺れるの、痛いのと苦情頻りに到る。
  されど正座は足を重ね、脚を折り、その上に腰を落ち着けることなり。
  腰より上を楽に、下を抑圧することがその精神なり。
  脚が痛むも痺れるも、命に別状なきなり。潔く我慢すべし。
  我慢のできざるは、これ弱虫なり、腰抜けなり。
  力、腰の下に集まりて、丹田自ずから充実し、頭脳静穏となりて、また五臓六腑が活動するなり。
 (昭和6年、野口晴哉「正座再考」より)  
  注)野口晴哉:「社団法人整体協会」の創始者
   *昭和6年、日本では昭和初期にすでに正座の習慣が廃れつつあったのだ!!
    

4.昔の日本人の生活には、正座が基本にありました。
  食事は家族で卓袱(ちゃぶ)台を囲み、正座して食べていました。
  本を読む時も、書きものをする時も正座でした。
 「膝を突き合わせる」という表現もあるように、きちんと話をするとなると、
  お互いに正座して話をしました。
  武道や茶道、伝統的な芸能の世界では、
  技や芸の基本の基本はきちんと座れること、すなわち正座にあり、
  上達してくると「座り方から変わってくる」と言われました。
  正座は単に行儀のよい座り方ではなく、
  日本人の日常生活の中での基本的な座り方であったのです。

  日本人は日常生活の中に、
  足腰の鍛練法でもあり、瞑想法でもある正座を取り入れることで、
  足・腰・肚を中心とした「日本人の体」をつくり、育ててきたのです。
  まさに、先人の智慧の結晶であります。
  おそらく多くの日本人は、こうしたことを意識して正座していたわけではなかったのでしょう。
  日常の、自然な座り方として、習慣化していたのでしょう。
 「なんか、こうしていると具合が良い」という感じで、
  感覚(身体感覚)でもって受け入れ、実践していたのだと思います。  
  それほどに、昔の日本人の身体感覚は優れていたと言うことが出来ます。
  今の私達はこうした身体感覚を失っています。
  この先人の智慧である「正座」をあらためてよく理解し、
  実践することを通して、日本人の身体感覚を取り戻す必要があるのです。
  (徳田一(啓哲塾塾生)より)

本論は2008.2.12に「あの時のそれ」に掲載したものです。

老眼鏡

元々近視なのだが大分前から老眼鏡を使っている。
バリラックスなどの遠近両用は当然のことながらボヤケる部分がある訳で、
それを許せるかどうかが使い続けられるか否かの分かれ道。
私の場合はその昔、鮮明な画像を見極める仕事をしていたこともあり、生理的にも使いこなせなかった。
従って、見栄はキッパリ捨てて近眼用と老眼用の使い分け。
(若い頃は、そういう人を見るとあぁはなりたくないと思ったりもしたものだが・・・)
その老眼鏡だが、最近とみに合焦点が目から離れていきつつある(遠くなってきている)。
ピントが合う距離では必然的に対象となる文字などが小さくなってしまい、
分解能的に読み難いとの問題が生じつつある。
そこで行きつけのメガネ屋に相談した。
現在の合焦点は眼から50cm程度。これを30−35cmにしたいと・・・
「お客さん、パソコンやりますか? 35cmのメガネにするとパソコンは逆に辛くなりますよ。」
そりゃそうだ!
「今お使いのメガネはパソコン用にはぴったり! 読書用にもう一つ別のを作りますか?」
う〜〜ん、老眼鏡の二刀流??そこまでの踏ん切りはつかないので、もう少し様子を見ることにした。

メガネ屋さん、親切な対応、ありがとう!

ここから始まる

これまでもブログ運用はしてきましたが、このブログを始めるのにはある目的があります。
その理由は追々明らかにしていくつもり。
と 言っても、そんな大それたものではなく、
内容やポジショニングが明確になっていないだけ・・・(がくっ!)
まぁ、肩肘張らずに参りましょう。