2009年8月10日月曜日

また一人、身近な方のご親族のご不幸に出会う。
この年になると同年代の人々や関係者との別れがあり、
人ごとではない思いをすることもしばしばである。

そのことを殊更我が身に振り替えて今すぐにどうこうする必要はないけれど、
その時に備えてそれなりの覚悟が必要と思い知らされる。

自分の身だけのことではなくなってきているのも事実で、生活に直接関与してくる。
若い時代は無我夢中で、その時を全力で過ごすことの積み重ねでよかったのかもしれないが、
そうもいかない年代をどう生きるのか。
その一瞬を真摯に受け止め、全力で生きることの大切さは変わりはないが中味は大きく異なる。

必要なのは、ここまでよりも明らかに短い「これから」を「いかに生きるべきか」、
より深く考えるきっかけにすることであろう。

キーワードは「謙虚」。
「謙虚に生きる」とはいかなることか と考えてみる・・・
言葉にすると「へりくだる」とか「控えめ」とか「すなおに相手の意見を受け入れる」とかに
なるが、それだけのことではすまされない。
人は自分の経験・体験でしか生きれないから、それを加味した「謙虚さ」であるべき・・・
その何たるかを、反芻してみる・・・

「自我を無くしへりくだる」では「その人となり」もなくすことになり本物ではないと思う。
強い自己主張や自分本位、言うなれば「自分を認めて欲しい、褒めてもらいたい」
「自分が主役になりたい」ところから「周囲の人を含めた全てのものを受けとめる」こと、
良いところ・優れたところを認め、共に生きること。
とかく「人の欠点や嫌らしさ」は目に付きやすく、それを強く意識したり揚げ句の果てには
同意者を募っての仲間意識作り・・・このことほど嫌らしいものはなかろうに・・・
他人の嫌らしさが見えるとき、それは「自分にその嫌らしさがあるからだ」という。
そうは言ってもなかなか難しいことだが、自分を磨く努力をしてみるつもり・・・

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